仕事

ストレス障害で休職した好待遇確約のはずだった公務員のおはなし

40代男性
40代男性
私は50代手前の地方公務員です。

20代後半で結婚して、今は高校生と中学生の子供と持ち家で暮らしています。

地方において勝ち組といわれる公務員になり、充分な稼ぎと自由な時間をおうかして穏やかな人生をエンジョイするはずが、ストレス障害で休職するまで追い込まれてしまった私の体験をしるします。

就職先に公務員を考えてるかたや、自分らしい働きかたを模索してる方々の参考になれればさいわいです。

ストレス障害になって休職するまで

民間企業から公務員へ転職

大学を卒業して、地元では大手の民間企業に就職したものの、予想以上のハードワークと伸び悩む給料・低い待遇に将来が不安になり、公務員に転職しました。

公務員生活はまずまずでした。

  • 給料は上がり続ける
  • ボーナスはきちんとでる
  • お金の心配は将来にわたって必要ない

 
しかも、仕事もいい感じ。

減点方式のため、与えられた仕事をミスなくソツなくこなすのが優秀な職員です。

冒険より安泰を好む私の性格にもあってるようで、
フツーに仕事をしてたら、勝手に評価が上がります。

安定

そんな、公務員としてはまずまずの人生を歩んできた私に一大転機が訪れます。

パワフル上司あらわる

ある年の異動でやってきた上司が、メチャクチャ仕事ができて、メチャクチャパワフルな人でした。

仕事に対しては完璧主義で、少しの妥協も許しません。

結果へのコミット具合がハンパなく、変態並みのこだわりをもちあわせていたのです。

何においても仕事最優先。

クオリティの高い成果のためには残業や休日出勤は当たり前。

しかも、部下にもそれを当然のように求め、自分に厳しく、他人にはもっと厳しい、
出世街道まっしぐらを地でいってるような人でした。

それに対して私は、割り切って働いていたので、お互いのモチベーションには天と地ほどの開きがありました。
 
 

40代男性
40代男性
仕事は生活費を稼ぐため

 
 
ただ、パワフル上司も赴任早々パワフルだったというわけではなく、最初は穏やかに仕事ができていたのです。

そして、赴任してから1ヶ月ほどたったある日、私はパワフル上司に、とある案件のことで呼ばれました。

40代男性
40代男性
今思えば、このときが休職への入り口だったのかもしれません。

パワフル上司、牙を剥く

あるイベントの企画書をあげていたところ、安全対策についての指摘をうけました。

そのイベントは何年も前から年間何度もおこなわれてて、新規イベントでもなければビッグイベントでもありません。

もちろん、だからといって安全対策をないがしろにして良いわけはありません。

今までのノウハウの蓄積もあり、今回に限って特に注意しなければならないこともありませんでした。

だから、私は、対策の内容を説明して、心配ないことを自信満々に答えたのです。

上司に呼ばれる
 
 
そこからでした。パワフル上司の本領発揮がはじまったのは。

パワフル上司は私が説明した対策に全く納得せず、パワフル上司オリジナルの対策案を示したのです。

ですが、パワフル上司から与えられた安全対策はとうてい実施できるものではありませんでした。

たしかにパワフル上司のいうとおりに対策すれば安全度は飛躍的に向上するでしょう。

しかし、何をやってるのかわからなくなってしまい、イベントとしては成りたなくなってしまうでしょう。

例えるなら、縁日の露店で『火事になるといけないから、屋台で火の使用禁止』というレベルです。

火が使えないと、たこ焼きやクレープなんかはできなくなって、かき氷とかクジだけになってしまいますよね?

もちろんそんな策がとおるわけもなく、いろんな関係機関や団体から文句やクレームがわんさかよせられました。

そこからの調整が修羅場でした。

パワフル上司
パワフル上司
絶対に譲らない
関係団体
関係団体
何バカなこといってるんですか

 
 
パワフル上司と猛反発する関係団体との板挟みで私はギュウギュウに締め上げられたのです。

板挟み
結局、その案件は、パワフル上司のさらに上のエラい上司の英断(?)により、『例年どおり』とすることで決着し、ことなきを得たのでした。

しかし、パワフル上司の異常なこだわり癖は、これ以降、いたるところでいかんなく発揮されるようになります。

叱責(しっせき)と深夜残業の日々

ハードワーク
なにぶん『こだわりのパワフル上司』ですから、企画がとおらないとおらない。

私の『ぜんれいとうしゅうをベースとしつつ、改良可能な点は改良する』スタンスがかったるくて仕方ないみたい。

重箱の隅をつつくだけでなく、全体をかき混ぜてグチャグチャにして全く違う料理を創造することに喜びを感じてるようでした。
 
 
だから、私の企画案はことごとくボツ。

そしてダメ出しの嵐。

つぎにお説教へと発展。
 
 
さらに自分に酔いしれた表情で昔の武勇伝を語りはじめたりして、ハンコもらいにいっただけなのに、自分の席に帰ったのが2時間後とかがザラでした。
 
 
しかもハンコもらえず。

ご指導(お説教?昔話?)タイムは平均して2時間くらい。

長いときは4時間もパワフル上司の机の前で立って話を聞いてました。
やり直し
それが毎日続くので、もう自分が何をやってるのかわからなくなってしまっていました。

体調の異変がはじまる

そんな日々を過ごしてると、なんだか体調に次のような異変があらわれてきたのです。

頭痛

わりと早い段階から頭痛を感じてました。

両方のこめかみのあたりが、グーっでグリグリされてるみたいな痛みをずーっと感じるわけです。
頭痛

そのとき私は、『脳の血管がつまったか切れたか』したんじゃないかと不安になりました。

こめかみの痛みはのうこうそくや脳出血の疑いがあると聞いたことがあったので…。

その頃は連日の深夜残業が続いてたこともあり、疲労がたまってプチーンと・・・?なんて考えてしまったのです。

実際、職場でのうこうそくで倒れたケースも過去に何人かみてきたし。

そのうち2人は亡くなったし。

その頃は死が怖かったので、休みを取って脳外科へいきました。

病院にいく

 
 
 
検査の結果は異常なし。

CTとMRIをとったのですが、特に異常は見当たらなかったようです。

検査では異常がなかった私の身体は、このあたりからどんどんおかしくなっていきました。

頭痛もどんどんひどくなる。

常に痛みを感じてて、プレッシャーを与えられると、さらに痛みも激しくなっていく。

めまい

次に、めまいを感じるようになりました。
 
 
めまい
立ちくらみみたいな感じで、視界の周辺部がチラチラしてくるんですよね。

そしてそのチラチラの面積ががだんだん増えてきて、最後にはテレビの砂嵐みたいになるという。

そうなると、もう、人と向き合っても表情はおろか、目の前に人が立ってることすらわからなくなります。

耳の不調

なんだか水の中にいるような感覚がおそってきます。

音の聞こえかたが水の中みたいに聞こえるんです。
 
 
耳の不調
こんな状態でも、はたからみたら普段と変わりなくみえてたと思います。

わりとうけ答えできてましたから。

脱毛症

そのうち頭に円形脱毛症が出たりして、その頃には「あ、おれヤバいかも」と思うようになりました。

『10円ハゲ』とはよくいったもので、まさしく10円くらいの丸いハゲが後頭部にちょこんとできてました。

平衡(へいこう)感覚障害

まっすぐ歩けなくなります。

まっすぐ歩いてるつもりでも、右のほうか左のほうへズレながらナナメに進んでしまいます。

フラフラ歩いて不調をまわりの人に気取られないように、しっかり歩くことが大切です。

平衡感覚

首を絞められてる感じ

まるで『真綿で首を締められてるような』感覚がやってきて、息苦しくなってきます。

プレッシャーが強くなればなるほど『しまり』も強くなります。

呼吸困難になるほどではありません。

首締められる

吐き気

吐き気には2種類ありました。

  1. 首を締められすぎて気持ち悪くなったあとのような吐き気。
  2. 胃を手で強く掴まれたことからくるような吐き気。

吐き気
 
 

睡眠障害

特に仕事での心配ごとが片付かないまま床についてしまうと、眠れなくなっちゃいます。

40代男性
40代男性
段取りはあれで大丈夫か?
40代男性
40代男性
明日やれば間に合うのか?

 
 
不安で不安で眠れなくなり、そのうち朝がやってきます。
 
 
睡眠障害

不安感

何もかもに自信がもてなくなり、不安な気持ちでいっぱいになっちゃいます。

イベントや会議の準備なんかは、どこまで念入りに準備しても、不安で不安でたまらなくなります。
 
 

40代男性
40代男性
まだやり残しがあるんじゃないか…。

 
 
不安

相手の思い違いを主張されても、そっちの方が正しいんじゃないかと思ってしまったり、自分に全く自信がもてなくなります。

記憶障害

記憶力が抜群に悪くなります。

というか、覚えられません。

同じことを何度も何度も確認してしまったり、約束をすっぽかしてしまったり。

ひどいときは、電話を切った直後に何の用件だったか忘れていました。

記憶障害

理解障害

日本語が理解できなくなります。

単語1つ1つはわかるのですが、文章として並べると理解できなくなります。

返事やあいづちはうてるので、相手は当然理解している前提で接してきますが、私にとっては『相手の喋りにあわせる返事(「はい」や「いいえ」)やあいづちをうつだけで精一杯』で、その内容を理解する余裕はないのです。

ひどい『頭痛』や『めまい』とセットになることが多く、平気なフリしてるだけで、実は激しく消耗してます。

脳が膨張するような感じ

比較的いつでも感じることができる症状です。

なんと表現してよいか難しいのですが、『膨張』という表現が最もしっくりくるような気がします。

痛みはありません。

動悸

激しい運動とかしてないのに、急に心臓がドキドキしてきます。

と同時に、息が荒くなってきます。

浅く、早くなる感じ。

立っていることさえつらくなる
矢印
座っていられず、机に突っ伏す
矢印
最悪の場合横になる

体調の異変があっても休日は家族といつも通り過ごしたい

思いつくままに症状をあげてみました。

これらの症状がコンボであらわれることも。

これらが単独でやってくる場合もありますが、多くはコンボであらわれるので、なかなか手ごわいです。

特に頭痛がらみは強弱とり混ぜて攻めてくるので、激しく消耗します。
 
 
こんな状態だから休みの日はぐったりしてたかというと、そんなことはありません。

家族で道の駅へお出かけしたり、家族ぐるみでお付き合いしてるおうちで焼肉パーティーしたりと、しっかりマイホームパパしてたんですよ。

ただ、そのときも頭痛やめまいは襲ってきたし、油断して気を抜くと無表情でうつろにぼーっとしてしまってました。

家族サービス

私がうけ入れられなかったんです。
 
 
『仕事も満足にできないお父さん』、『仕事で疲れ果てて休日家族と遊べないお父さん』なんて。
 
 
休日に家族を楽しませるのも、お父さんの大事な役目ですもんね。

そのあとも頭痛は私を苦しめ続け、「やっぱりおかしくない?」という思いが大きくなり、別の病院でも検査をうけました。

結局、4つの病院で検査をうけましたが、いずれも異常なし。

もうダメかも

パワフル上司がやってきてもうすぐ1年が過ぎようとする頃、私にはもう、がんばろうという気力は残されていませんでした。

あるのは無力感だけ。

無気力

どんなにがんばっても、パワフル上司からはきゅうだいてんさえもらえません。

もらうのはダメ出しとしっせきだけ。

ハンコひとつもらうのに1日ではたりないことも珍しくありませんでした。

溜まりゆく業務と決裁の恐怖におののく毎日でした。

パワフル上司から話しかけられるのが怖くて仕方なく、視線を感じるだけで気を失いそうになりました。

激しさを増す頭痛やめまいなどを感じながら、ついに思いいたらざるをませんでした。

40代男性
40代男性
オレ、モウダメカモ

パワフル上司去る

時は定期異動直前の時期でした。

そこで私は自分にいい聞かせたのです。

40代男性
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パワフル上司も自分も異動してなかったら、もう終わりにしよう。休もう。

そして異動発表の日。

パワフル上司は栄転していきました。

私はその職場に残ることになりましたが、パワフル上司とはお別れすることができました。

相変わらずの頭痛とめまいと耳鳴りの中、私はひとまず安堵するのでした。

パワフル上司は去っても体調は癒えず

パワフル上司が去ったあとは、比較的平穏な日々でした。

パワフル上司のあとには穏やか上司がやってきました。

企画案もスムーズに通るようになり、業務もはかどります。

今までのこだわりは何だったのだろうと思わないではありませんが、やっと訪れた平穏な日々の下には、もうどうでもいいことでした。

平穏な日々

ただ、パワフル上司が去っても、私の体調は思うように回復しませんでした。

特に、後頭部に出来た10円大の円形脱毛症は、なぜかあっちこっちに場所を変えながら、少しずつ、しかし確実に大きく成長していくのでした。

穏やかな日々に訪れる恐怖

パワフル上司が去ってから2年たらずが過ぎました。

仕事は相変わらずで、ホドホド大変ですが、ホドホド順調で、穏やかに日々は過ぎていきました。

ひどかった頭痛やめまいや耳鳴りも、以前ほどは私を苦しめない程度に軽くなりました。

それ以外の症状もだんだんと軽くなってきており、いつか全ての症状はなくなるだろうと思えてました。

ただ、頭の10円ハゲは500円ハゲへと成長してました。

10円ハゲ
そして、パワフル上司が去ってから2年がたとうとしたある日、恐怖の出来事がおこりました。

それは突然やって来ました。シャンプーのときでした。

髪の毛がバッサバッサと抜け落ちはじめたのです。

いつものように両手で髪の毛をワシワシすると、髪の毛がゴッソリ抜けているではありませんか。

両手にベッタリついた髪の毛をみた私は、恐怖で背筋がゾッとしました。

それから数日間、シャンプーすれば髪が抜け落ち、髪をとかしたり、髪をかきあげたりするごとにクシや指に大量の髪がからみつきました。

私は髪の毛をさわるのが怖くなりました。

さらに、髪の毛だけでなく、スネ毛やワキ毛など、体じゅうの毛が抜け落ちていきました。
恐怖におののきましたが、どうすることもできませんでした。

このときから、私のヘアスタイルはスキンヘッドになりました。

髪を伸ばしていると、髪が生えてる部分と抜けた部分の違いがまだら模様になってカッコ悪いのです。

もちろん皮膚科へいきました。

診断名は、多発性脱毛症。

みたまんまの病名に笑っちゃいました。

お医者さんいわく、免疫系の異常だそうです。

免疫系が、毛根を外敵と間違えて攻撃してしまったそうです。

原因はわからないそうです。

原因がわからないので、治るか治らないかわからないし、いつ治るかも、わからないそうです。

タダで脱毛できたので、儲けものかもしれませんね。

ただ、人から「まゆ毛剃ってるんですか?」と聞かれて「いいえ」と答えたときの、相手の「???」となった顔は気の毒でした。

パワフル上司ふたたび

脱毛症にはなったものの、自分的にはそんなに悩むこともありませんでした。

仕事はホドホドで、家族との時間を楽しむ生活を続けられており、相変わらずの長時間労働ではありましたが、気分的には穏やかに暮らしてました。
 
 
ところがです。
 
 
それから数年後、あろうことか、ふたたびパワフル上司が私の上司になりました。
 
 
この世に神様は存在するのでしょうか?
 
 
それとも、これは神が与えたもうた試練でしょうか?
 
 
とにかく私はサラリーマンです。

人事異動に否も応もありません。

またどちらかの異動で別れるまで、必死でがんばるだけです。
 
 
 
ところが、今回は早い展開となりました。

身体が過剰に反応してしまうのです。

気持ちはがんばろう、がんばろうと思うのですが、身体がいうことを聞きません。

まるで坂を転がり落ちるように体調が悪化し、いとも簡単に、短い期間で、あの苦しみが襲ってくるようになったのです。

そして、やっぱり企画が通りません。

何をどう修正すればいいのかもわからず、指示がこま切れに出されます。

ひとつ直しては決裁そして修正指示。もひとつなおしては決裁そしてまた修正指示。

終わりのない修正地獄です。

修正地獄

あの苦しかった日々がありありとよみがえります。

身体がこわばり、思考が停止します。

イベント計画は進まず、締め切りだけが容赦なく時を刻んで近付いてきます。
私は、いとも簡単に追いつめられていきました。

ついに心が折れました。

ストレス障害で休職へ

がんばってもがんばってもダメ出しされて、締め切りが迫るのにゴールが全くみえません。

それでも、『できない』という結果はありえません。

何度目かの修正を必死でしていた途中、スイッチが切れました。

スイッチ切れる

私の『やる気スイッチ』がパチッと切れちゃいました。

いや本当、やる気のスイッチってあるんですね。

そのスイッチが切れた途端、もう何もかもがどうでもよくなってしまいました。

終業時間までどーでもいいような仕事をテキトーにやって、終業のチャイムが鳴ると定時でとっとと帰っちゃいました。
 
 
そして翌日から、仕事にいけなくなりました。

とりあえず頭痛を理由に休んでるんですが、とても数日で回復するとは思えません。

というか、大事な企画の仕事をほったらかして休んでしまったので、次にどう出勤していいのかわかりません。

勢いで休んだものの、罪悪感としょうそうかんと疎外感にボコボコにされて、もうどうしたらいいかわからなくなっていました。

そんなとき、ある職場の仲間から電話がありました。

その仲間も以前、仕事のことで深く悩み、休職一歩手前までいった人でした。

その仲間から、カウンセリングをうけるべきだといわれました。

しょくたくのカウンセラーさんに話を聞いてもらえば、良いアドバイスしてくれるそうです。

その仲間もそれで助かったとのことでした。

私は、その仲間のすすめるままにカウンセリングをうけることにしました。

正直、めんどくさかったのですが、仲間の申し出を断るパワーさえなかったのです。

仲間が段取りしてくれて、しょくたくカウンセラーさんのカウンセリングをうけました。

カウンセリング

結果は、すぐ心療内科で診察をうけるよう、強くすすめられました。

自覚症状はなかったのですが、かなりヤバい感じだったそうです。

私よりもカウンセラーさんの方が深刻そうで、その場ですぐに予約を入れてくれて、さらに心療内科まで付き添ってくれました。

あとから聞いた話ですが、このまま帰すと『最悪の結果』も、考えられなくない様子だったそうです。

そんなことするわけないのにね。

心療内科ではカウンセラーさんが診察にも立ち会ってくれて、先生に専門的な説明をしてくれました。

そのおかげで、私は“ストレス障害で自宅療養の必要あり”との診断をうけました。

医師から、全ての仕事を禁止されました。

出勤はもちろん、引継ぎもダメ。

仕事のことでの電話もダメ。

禁止

とにかく、一切の仕事との接触を禁止されたのです。

唯一許されたのは、そのことを職場に連絡することだけでした。

  • しょくたくカウンセラーさんのカウンセリングをうけたこと
  • 心療内科で診察をうけたこと
  •  
    そして、

  • 明日からしばらく休むこと
  • 引継ぎができないこと
  • 仕事の話はできないこと

を電話で伝えました。

私はもう、あまり感情を感じることはできませんでした。

職場のみんなに迷惑をかけて申し訳ないとか、やっと休めるとか、感じても良さそうな感情を感じた覚えがありません。

医者が休めというから休むだけ。そんな感じでした。

家族の反応

家に帰って、家族にしばらく休むことを伝えました。

長女からは、「一度休んでしまうとふたたびいけなくなるから、しんどくても仕事にいくべきだ」と諭されました。

まだ小さい末娘は単純で、休めることをしきりにうらやましがりした。

妻はいつくしむような、それでいて悲しそうな微笑みを向けてくれました。

ただ、キッチンに向かってるときに流した涙は、玉ねぎのせいだけではないような気がしました。

直属の上司と面談

しばらく休むことになった数日後、直属の上司から連絡があり、喫茶店で面談しました。

パワフル上司と私の間にいる上司になります。

上司
上司
  • こんなになるまで気付けずに悪かった
  • 今は療養に専念してほしい
  • 仕事のことは考えなくていい

その上司は、非常に同情的に接してくれました。

私は意外でした。

業務を滞らせたばかりか、引継ぎもなしで仕事を放り出した私は、
どんなに迷惑で責められるべき対象だろうと自責することしきりだったからです。

こうして、職場公認で、休職しての自宅療養生活に入ることになりました。

ストレス障害休職中の生活・療養

よくなる方法はただひとつ『やりたいことをやる』だけ

心療内科の医師からは、薬の処方箋と療養方法をレクチャーしていただきました。
 
 
よくなる方法はただひとつ『やりたいことをやる』これだけでした。

昼間からブラブラしてようが、それが療養なんだそうです。

ちょっと、にわかにはうけ入れがたいですよね。

でも、好きなことをして心を癒すのが一番効果的なんだそうです。

やりたいことを一通りやってみると、全く何もする気がなくなってしまった

苦しい仕事から解放されて、毎日お休みが続いて、やりたいことをやっていいよといわれて、正直、嬉しく思いました。

心の病気にかかってるという負い目を感じないわけではありませんが、
それに勝る開放感を味わう自分がいたのです。

そして、思いつく『やりたいこと』をどんどんやりました。

特に、何年も会ってない友人との再会は心踊るひとときでした。

県外の仲が良かった友人を訪ねたり、イベントに参加したり。

まるで失った時間を取り戻すかのように、精力的に活動するのでした。

やりたいこと

ところが、それは長くは続きませんでした。
 
 
ある日を境に、全く何もする気がなくなってしまったのです。

一日じゅう布団に潜り込んだ生活。

布団から出るのはトイレのときだけ。

食事もとったりとらなかったり。

食欲は全くないんですが、ヨメに促されて仕方なく食べるって感じです。

風呂も入ったり入らなかったり。
 
 
感情がプラスにもマイナスにも働かず、『ただそこにあるだけの存在』になった感じです。

寝る

そして、何もやる気にならない。何もしない。

布団の中で睡眠と覚醒(目が覚めてる状態)を、ただ繰り返すだけでした。

あとから思うと、ウキウキと活動したときに残されたパワーを使い切っちゃったのかもしれませんね。

休職してはじめて自分だけではなかった事実を知る

そんな状態の私ですが、何人かの同僚や上司が心配して連絡をくれたことがありました。

私としてはそっとしておいて欲しかったのですが、話を断る気力すらなく、
誘われるままに話をしたのですが、そこで意外な事実に気づかされました。

私が知らなかっただけで、カウンセリングをうけたり心療内科にかかったりしてる人は他にも相当数いたのです。

キビキビ仕事をこなしてた上司も、「実はオレもなぁ」なんて話してくれました。

また、エリートコースをまいしんする同僚も一時期追い込まれて心療内科にかかり、
職場のサポートをうけていたことを打ち明けてくれました。

その他にも、職場の知人で心の病気を経験した人が何人も連絡をくれて、
アドバイスしてくれました。

休職した人は否応でも分かっちゃってたんですよね。
こなくなるので。

でも、休職にいたらないまでも心の病気で苦しんでる人がこんなにいるなんて
はじめて気づいたし、驚きでした。

そんなこんなで、完全ガス欠状態で時間だけが過ぎていく毎日でした。

療養中の生活

ですが、時とともに、少しずつ、少しずつエネルギーも補充されてたみたいです。

完全ガス欠状態から3ヶ月ほどたったころから、自発的に行動できるようになってきました。

たとえば、ヨメにいわれなくてもご飯を食べる。

ヨメの買い物に付き合ってスーパーへいく。など。

スーパーへいく

おっくうで外出なんて全くする気になれなかった頃から比べると、すごい回復ですよね。

それからは、ヨメとランチを楽しんだり、家族でショッピングモールへ出かけたり、
少しずつですが、外出するようになりました。

ドライブ

ただ、やはり長時間の外出は疲れやすくて、普段より早めに帰ったり、
私だけ車で休んだりしてました。

休職を経て復職へ

復職前のお試し出勤

仕事を休みはじめて半年ちょっとたったころ、復職に向けてリハビリをするようになりました。

数回のカウンセリングと毎月一回の心療内科での診察を重ねるなかで、
「もうそろそろ復職しても大丈夫かも」ということになったのです。

復職前には、『お試し出勤』というプログラムがありました。

お試し出勤とは

最初は短い勤務時間からスタートして徐々に勤務時間を長くしていき、
最後に一日勤務にいたるというものです。

はじめの1週間が午前中の半日勤務、
次の1週間が午後3時まで。
そして最後の2週間が終日勤務という具合です。

このお試し出勤をしてみて、大丈夫であれば医師の診断をうけて復職することになります。

もちろん、しんどければ延長してもいいし、中断してもかまいません。

そして、仕事内容は軽いもの限定。

判断を求められるものや、早さや正確さが求められるものは厳禁です。

要は、雑用のみOKってことですね。

復職前の不安

復職というか、お試し出勤で事務所へいく前はすごく不安でした。

仕事の内容よりも、職場のみんなにどう顔向けすれば良いかわからなかったのです。

仕事の穴をあけて大きな迷惑をかけたことは明白です。

やるべきことができなかった劣等感もひとしお。

はっきりいうと、れいぐうされるのが怖かったんです。

職場のみんなにうけ入れてもらえるだろうかと考えると、
また奈落の闇へと吸い込まれそうに気分が滅入るのでした。

お試し出勤はじまる

しかし、退職でもしない限りはいつかは訪れる試練です。

恐る恐る扉を開いた初出勤は、あっけないほど平穏に終わりました。

仕事らしい仕事はほとんどなく、休職中に出された書類を見たりする程度でした。

事務所の人たちも、私を避けるでもなく、突き放すでもなく、自然な感じでうけ入れてくれてるようでした。

ムードメーカーみたいな人が軽い冗談を向けてくれたりして、
上手には返せないものの、安心できる心遣いに救われました。

たった半日、書類をペラペラめくりながら眺めて過ごしただけですが、私にとっては大きな一歩となりました。

不安で不安でたまらなかった出勤というイベントを、乗り越えることがたからです。

仕事も比較的落ち着いてて、事務所全体がなごやかな雰囲気だったのも救いでした。

それからは順調に日々をこなしていき、タイミングよく年が明けた1月から正式に復職することになりました。

復職には医師の診断が必要になるのですが、診断書には深夜労働と時間外労働の制限が盛り込まれました。

お試し出勤

復職後は特別扱い

復職にあたって、職種の変更がありました。

部署はかわらず、より負担の少ない係の仕事をするように配慮いただいたのです。

休職前の私のポストは部署内で最も多忙な席で、
毎日の深夜残業は当たり前。日付が変わることもありました。

復職後の係は残業もほとんどなく業務の負担も軽いので、
疲弊することなくほぼ定時で帰宅できました。

ただ、私の代わりになった人はやはり連日深夜残業と休日出勤に明け暮れてて、
とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そんな彼は嫌な顔ひとつしないばかりか、私をねぎらい、気遣ってくれる人格者で、ずっと頭が上がらないだろうと思います。
特別扱い

復職後の面談で

復職後、部署の課長と次長と私の3人で面談がもたれました。

今後のことについての希望聞きとりといった感じでした。

私は素直にかんしょくを希望しました。

実は、今までは出世コースにのってたんです。

希望さえすれば、本部でかなりのところまでいけるルートを渡りあるく異動でした。

でも、それはあくまで本人が望めばの話。

1週間に40時間働けば充分。給料もほどほどで結構。

のんびり暮らすために公務員になった私が、激務に耐え抜くラットレースを喜ぶはずがありません。

せっかく出世コースにいるのに、あえてそこから逸脱する道を選ぶ私の希望を、課長と次長は理解に苦しんでるようでした。

しかし、結局、強い説得もないまま私の希望を考慮した人事を働きかけてくださることで了承をいただけました。

閑職を希望

今だからいえる本音

休職して思うこと

今回私は、ついに心の病気で休職してしまいました。

医師が診断する以上は病気に間違いはないんだろうと思います。

ただ、今でも、自分は甘えてただけじゃないだろうかと自問してしまうのです。

子供の頃から、部活や勉強を泣きながら、歯を食いしばりながらがんばったし、がんばらされたし。

途中で投げ出すことは罪であり、蔑まれるべき行為だと叩き込まれたし。

それに、今でもわからないんです。

本当にあそこが限界だったのか?
限界を超えてしまったのか?
限界の前に自分がブレーキをかけてしまったんじゃないか?
まだやれたんじゃないか?

って。

ただ、もし甘えだったにしろ、限界でなかったにしろ、休職してよかったと思います。

それは、自分の希望を本音でいうことができて、それに耳を傾けてもらえたから。

社会では、特に仕事においては、マイナス発言ってタブーですよね。

なので、本音では思ってても、残業や休日出勤がない部署への希望なんて出せません。

『やる気ないヤツ』のレッテル貼られたらいろいろ居づらくなるし。

でも、休職したときに、がんばって支えてた虚構が全部なくなって、
本当に自分がやりたい仕事を希望することができました。

そしてしみじみ感じたのが、手厚い福利厚生でした。

3ヶ月に及ぶ有給での病気休暇にはじまり、休職中に支給される傷病手当金は、
お金の心配から解放される大きな助けになりました。

また、カウンセリングやお試し出勤など、復職プログラムが充実してて、
不安ながらもスムーズに復職することができました。

復職後も再発防止や回復への手助けが制度的に整っており、
安心して治療に取り組むことができます。

そうです。

復職は果たせたものの、ストレス障害という病気はいまだ完治せず、これからも治療は続くのです。

治療は続く

回復する条件はとにかく我慢せずやりたいことをやる!それだけ

ストレス障害だけでなく、心の病気での休職から復活するには、
好きなことをすることが大切だそうです。

先にも述べたように、健康な心を取り戻すには、嫌なことを我慢してしてはいけない。

やりたいことだけをやるのが一番だそうです。
 
 
寝たければ寝る。

遊びたければ遊ぶ。
 
 
そうすれば、ゆっくりと、心は健康を取り戻すんだそうです。

心の健康

そしてもうひとつ。

環境をかえることだそうです。
 
 
休職まで追い込まれた環境に復職すると、かなり高い確率で再発するそうです。

そりゃそうですよね。病気の原因にまたさらされるわけですもんね。

私の場合も部署内で負担が軽い係に変えていただいて、
気分的にも身体的にもずいぶん助かり、快方へと向かうことができました。

ただ、みんながみんな社内異動で解決できるかどうかは怪しいところだと思います。

そんなときは、思い切って転職してみるのも手だと思います。

私も、今より待遇が良くて将来安泰な職場があれば、迷うことなく転職すると思います。

環境をかえる

復職してそのあと

復職から数ヶ月後、定期異動で希望どおりかんしょくへの異動が決まりました。

しばらくは残業ナシ、休日出勤ナシの生活が送れそうです。

人として、組織人として一線を超えてしまったと思ったあの日の絶望が、
今となっては人生の転機となったようです。

今はストレスを感じることもなく、理解ある上司や同僚に囲まれて和やかに過ごすことができています。

にんげんばんさいおううま

人生における幸不幸は予測しがたいということ。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
 

生き続けていれば何とかなります。

40代男性
40代男性
私の体験談があなたの何かのお役に立てれば、こんな嬉しいことはありません。
生き続けていれば何とかなります。